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Jazz Lightning Strikes Twice

Two archival discoveries present Steinway Immortal Bill Evans in 1968 alongside Eddie Gomez and Jack DeJohnette.

by Bradley Bambarger

 

Bill Evans was on an upswing in 1968. There had been tragedy and depression and demons to bear, but the jazz pianist had made his way forward over the previous few years. He had collaborated fruitfully with such peers as Jim Hall, gained a devoted new manager, signed with the high-profile Verve label, and won his first Grammy Award. Evans had also developed rapport with a virtuoso young bassist, Eddie Gomez, and they eventually added an up-and-coming force of a drummer, Jack DeJohnette, for a new trio — one that seemed to hold a dynamic promise that the pianist’s groups hadn’t quite shown since his famously inspired trio with drummer Paul Motian and short-lived bassist Scott LaFaro in 1959–61. A European tour by Evans, Gomez, and DeJohnette in the summer of ’68 would yield an ebullient live album, At the Montreux Jazz Festival, that garnered the pianist his second Grammy. Then Miles Davis broke up the band.

That is, Davis lured DeJohnette away to his own group. Evans could scarcely blame the drummer for leaving him to join the era’s most iconic jazz bandleader. After all, the pianist had made his own name as the trumpeter’s kindred-spirit collaborator on Kind of Blue, the LP that would turn on more people to jazz than any in music history. (DeJohnette would end up playing on Davis’s Bitches Brew, an album almost as epochal for the late sixties as Kind of Blue was for the late fifties.) But it seemed like a missed opportunity, as the Evans trio with DeJohnette and Gomez, having been together for just six months, was only able to make that one live recording, nothing in the studio. Or at least that’s the way the story went until 2016, when Resonance Records released Some Other Time: The Lost Session from the Black Forest, a two-disc set derived from impromptu recordings made by the trio in a German studio just five days after that celebrated Montreux concert. For reasons not quite clear, the recordings had never been issued before Resonance’s sleuthing. But all’s well that ends well, at least for today’s Bill Evans fans.

Then lightning struck twice. Last year, Resonance followed up Some Other Time by releasing a second, contemporaneous discovery: Another Time: The Hilversum Concert, which presents a pristine recording of Evans, Gomez, and DeJohnette performing for an audience in the intimate hall of the Netherlands Radio Union, just two days after that studio session in Germany. Moreover, the set list for that Dutch broadcast recording only features two numbers in common with the Montreux concert from the week before. Suddenly, we have two valuable “new” albums — recordings never even bootlegged before — by one of the most beloved and widely influential pianists in the annals of jazz.

“Bill Evans has shaped the harmony of every jazz pianist of the past fifty years, whether they want to admit it or not — because even if they didn’t listen to Bill, they listened to players who did listen to him, from Herbie Hancock on down,” says ace jazz pianist Frank Kimbrough, who teaches at the Juilliard School. “And for the public, the beauty of his music, particularly his early work, has always been accessible — easy to listen to, even if it isn’t ‘easy listening.’”

静かな炎

1958年にリヴァーサイド・レベールからリリースされたスタジオLP『Everybody Digs Bill Evans』のジャケットには、大物アーティストたちが新進気鋭のピアニストに寄せた賛辞が載っています。なかでも最も重要なアーティストであるマイルス・デイヴィスは、「ビル・エヴァンスからは多くのことを学んだ。彼はピアノを、そうあるべきやり方で弾く」と述べています。バド・パウエル、セロニアス・モンクからホレス・シルバー、レッド・ガーランドまで、最高のジャズピアニストたちと共演してきた男から、このような賛辞が贈られたのです。数十年後、デイヴィスは自伝の中で、より示唆に富んだ表現を使ってこう語っています。「ビルの演奏には、これぞピアノというような、静かな炎のようなものがあった」。エヴァンスはあるインタビューで、この内に秘めた激しさについて、こう言及しています。「人前で演奏する時でも、独りだと思うように努めている」。評論家のウィットニー・バリエットは、エヴァンスが抱えていた葛藤について、「完全にプライベートな、耳の奥にある音楽を大事にしたいという強い思いと、自分の中にそのような音楽を見つけた歓びを表現したいという、同じくらい強い思いのせめぎあい」だったと書いています。

 

子供時代をニュージャージーで過ごしたビル・エヴァンスは、クラシック音楽の教育を受け、J.S.バッハの対位法のラインや、ドビュッシーやラヴェルの印象派的なハーモニー、そのほかロシアの作曲家、ロマン派、現代音楽の作品に親しんでいました。「ピアニストとしてのビルの特徴は、その素晴らしいタッチと詩的な音作りに加えて、ヴォイスリーディングにありました」と、キンブローは説明します。「これは、私がジュリアードの学生たちに指摘していることです。演奏を聴けば、バッハのコラールを弾いて育った人だと分かります。彼は音楽の仕組みをよく理解していました」

 

ジャズに関しては、戦後のあらゆる即興ピアニストと同様に、エヴァンスはビバップスタイルの第一人者であるピアニスト、バド・パウエルの影響を強く受けました。エヴァンスはまた、アール・ハインズ、ナット・キング・コール、ジョージ・シアリング、レニー・トリスターノなど、さまざまなピアニストの演奏も早くから聴いていました。下積み時代を経て、エヴァンスはチャールズ・ミンガスの『East Coasting』などのLPに参加して注目を集め、1956年にはリーダーアルバムのレコーディングを始めました。『Everybody Digs Bill Evans』には、サティを思わせるオリジナル作品『Peace Piece』が収録され、『Kind of Blue』には、エヴァンスが手がけた印象派的なバラード『Blue in Green』が収められました。ジャズピアニストでスタインウェイアーティストであるビル・チャーラップは、数年前に「ダウンビート」誌でエヴァンスについて論じ、エヴァンスがクラシックの伝統とビバップの即興演奏を融合させて、楽器で「独自の言語を作り上げた」と強調しました。

 

キース・シャドウィックは、著書「ビル・エヴァンス ミュージカル・バイオグラフィー(原題:Bill Evans — Everything Happens to Me: A Musical Biography)」の中で、エヴァンスのピアノのサウンドを特徴づけた要素について、こう詳細に述べています。「多くのバッププレイヤーたちを虜にしていた妄想的かつ一般的な、あるいはそれを拡張したコードチェンジの処理に代わるものとしてのスケールとモードの研究……関連したスケールを使って音楽的素材を提供すること、ジャズの様式を再定義することへの関心が、エヴァンス特有のモダンジャズ奏法への道筋となった」。シャドウィックは、さらにこう付け加えます。「また外見上明らかな事実だが、エヴァンスがエロール・ガーナーのように左利きだったことも彼にとっては有利なことだった。左利きだったおかげで、両手のタッチと重さの自然のバランスが稀なほど均等だった。レパートリーにかかわらず、ユニークなタッチとフレージングで、エヴァンスはコードの数を減らすという独自の理論と、主要な協和音の機能を応用して、彼独特のサウンドとアプローチを引き出した」

 

「過去50年間に現れたすべてのジャズピアニストが奏でるハーモニーは、ビル・エヴァンスの影響を受けています」

 

理論を超えて、エヴァンス自身はちょっとした芸術的信条について語っています。「シンプルなもの、つまり本質は素晴らしいものだが、それを表現する方法は信じられないほど複雑だ。音楽のテクニックにも同じことが言える。愛、興奮、悲しみといったシンプルな感情を表現しようとすると、テクニックが妨げになることがよくある。テクニックは本来、気持ちやアイデアを伝える手段であるべきなのに、それ自体が目的になってしまう。偉大なアーティストは本質を捉え、そのテクニックは実に自然で目立たない」

 

ラファロ、モチアンと組んだトリオで、エヴァンスは陰鬱とさえいえる強いリリシズムに満ちた演奏を披露し、同時にグループは、ピアニストが常に主導権を握るスタンダードなスタイルを超え、インタープレイ奏法の先駆けとなりました。エヴァンスとその仲間たちは、より対話的でエキサイティングなやり方で即興演奏をしました。2枚のスタジオアルバムをリリースした後、トリオは1961年にニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードでライブセッションのレコーディングを行い、この日のセッションから2枚の傑作LP『Sunday at the Village Vanguard』と『Waltz for Debby』が生まれました。これらのアルバムは、これまでに録音されたピアノジャズで最も影響力のあるもののひとつで、エヴァンス独特の哀愁を帯びたロマンティシズムをよく表しているだけでなく、グループが到達した、評論家アイラ・ギトラーが「非常に不思議なオーラ」と呼んだものを捉えていました。ラファロはこれらのアルバムの発売前に自動車事故で死去し、ショックを受けたエヴァンスは数カ月間引きこもり、ヘロインに慰めを求めました。 

 

しかし、エヴァンスはショックと悲しみから立ち直りました(彼は薬物依存症にどうにか対処しましたが、生涯にわたる薬物使用は、51歳で死去する一因となりました)。人気アーティストとなった彼は、さまざまなトリオを組み、オーケストラと一緒にレコーディングを行い、1963年にはソロLP『Conversations with Myself』でグラミー賞を受賞しました。3年後、エヴァンスはベーシストのエディ・ゴメスをトリオに迎えました。セッションドラマー、シェリー・マンと一緒に、彼らはゴメスが22歳の誕生日を迎えた日にアルバム『A Simple Matter of Conviction』を録音しました。エヴァンスは、ラジオ番組のDJも務めるピアニストのマリアン・マクパートランドとのインタビューで、自分のトリオに生粋のニューヨーカーが加わったことについて「私にとって素晴らしいことだった。…彼は勢いに満ちていて、アイデアが次々とあふれ出てくる」と語っています。ゴメスは11年間という、エヴァンスのキャリアで最も長い期間、一緒に演奏活動を行いました。

 

1968年 ヨーロッパ

ジャック・ディジョネットは、シカゴでジャズピアニストとして活動を始めましたが、その後ドラムに重点を移しました。彼は、『Everybody Digs Bill Evans』にピアノとドラムの両方で影響を受け、ピアニストとして入念に聴き込み、LPに合わせてドラムを叩いたと回想します。エヴァンス・トリオに参加する前、ゴメスはサックス奏者のチャールズ・ロイドと組んでいました。当時について、エヴァンスがこう語っています。「ジャックはチャールズと組んで完全なフリースタイルで演奏していたから、どうして僕が彼をグループに参加させようと思いついたのか、多くの人が不思議がっていた。だが、ジャックは非常に知的で、音楽の幅が広い。グループにうまく溶け込み、とてつもない創造力がある。他のドラマーが思いもよらないような面白いことをやってのけるんだ」。彼はマクパートランドに向かって、もっと鮮やかに表現してみせました。「彼のおかげで音楽に本腰を入れて取り組む気になったよ」

 

ゴメスとディジョネットのエネルギーに反応して、エヴァンスは彼のピアノ演奏の進化段階において、マーク・マイヤーズが『Some Other Spring』のライナーノートの中で「パーカッシブな詩人」と評する段階に入りました。これは、ピアノに対する「より揺るぎない、自信に満ちた」アプローチと、「際立つコードと打鍵、そして一段と目まぐるしい、ほとんど慌ただしいとも言えるような感覚」を特徴としています。新トリオは1968年6月15日の第2回モントルー・フェスティヴァルに出演し、その時の公演を収録したヴァーヴによるアルバムは、それまでに発表されたどの録音よりもエヴァンスの「明るい面」が存分に捉えられていると、作詞家でエヴァンスの長年の友人であったジーン・リースは指摘します。

 

モントルー・フェスティヴァルのライブアルバムのハイライトのひとつは、ゴメスの長いソロ演奏をフィーチャーした『Embraceable You』でした。評伝『ビル・エヴァンス:ジャズピアニストの肖像(原題:Bill Evans: How My Heart Sings)』の著者であるピーター・ペッティンガーは、トリオがヨーロッパツアーの締めくくりとして、ロンドンのロニー・スコッツ・ジャズクラブで1カ月におよぶ公演を行った際に、その演奏を聴いています。彼は、ゴメスの『Embraceable You』でのソロを「ダイナミズムの原動力」と描写しました。モントルーのアルバムでのディジョネットの見せ場は、ロンドンで、そしてツアー中ずっとそうであったように、マイルス・デイヴィスのナンバー『Nardis』の長い、躍動感あふれるソロでした。ペッティンガーが伝えたように、デイヴィスはロニー・スコッツにやって来てトリオの演奏を耳にし、ディジョネットを引き抜こうと考えたのでした。とはいえ、ツアーのスターはもちろん、ピアニストであるエヴァンスでした。モントルーのアルバムに収録された『I Loves You, Porgy』のソロテイクは、エヴァンスがラファロとモチアンと共にヴァンガードでレコーディングした時よりもややラプソディックな仕上がりになっています。こうしたパフォーマンスは、評論家のブライアン・プリーストリーから次のような言葉を引き出しました。「ビル・エヴァンスが街にやってくると、人は聴きに行くというより、むしろ崇めに行くのです」

ゴメスは、トリオのヨーロッパツアーをこう振り返ります。「ヨーロッパの聴衆は誰もがとても温かく好意的で、ビルを高く評価してくれた。それは、彼にとってとても心地よいことだった。僕はビルの音楽は徹頭徹尾アメリカ的だと思うし、トリオは完全にジャズを表現していた。だが、よくよく考えると、彼の音楽のすべてがブルースから来ているわけではなかった。彼はもちろんラヴェルやドビュッシーのようなクラシック音楽を愛していたし、彼とプロコフィエフやスクリャービンについて議論したことも僕は覚えている。ヨーロッパのリスナーも、こうしたつながりを感じ取っていたんだと思う」。ゴメスによると、エヴァンスはだいたいにおいて内向的であり、長々とポストギグを楽しむよりも、ひとりで居ることを好んでいました。「それでも、僕たちは一緒にヨーロッパを旅して楽しい時間を過ごした」とゴメスは言います。「ジャックと僕は特に。僕らは年齢がほぼ同じで、本当にうまくやっていたよ」

 

モントルーでトリオのコンサートを聴いたドイツの音楽ジャーナリスト兼プロデューサーのヨアヒム=エルンスト・ベレントは、グループがシュヴァルツヴァルトにあるフィリンゲンという村に立ち寄り、エンジニアのハンス・ゲオルク・ブルンナー=シュヴェアが所有するMPSスタジオでセッションをレコーディングするよう手配しました。ブルンナー=シュヴェアはヨーロッパのジャズアーティストのスタジオ録音を手掛けるほか、ピアニストのオスカー・ピーターソンを自宅に招いて居間で収録を行ったライブ録音シリーズで高い評価を得ていました。モントルーでの公演の5日後、エヴァンスと仲間たちはドイツのスタジオに到着しました。ピアニストはこのお忍びの機会を利用して、『Baubles, Bangles, and Beads』のような普段はバンドのレパートリーに含まれないナンバーを演奏しました。レナード・バーンスタインのもの悲しい『Some Other Time』(エヴァンスの代表的ナンバー)を含むトリオのナンバーのほか、このセッションではエヴァンスとゴメスが初めてデュエットをいくつか録音しました。エヴァンスはまた、リリカルで黙想的な『Lover Man (Oh, Where Can You Be?)』などのソロ演奏も行いました。

 

シュヴァルツヴァルトでのセッションから2日後、エヴァンス・トリオはヒルフェルスムに滞在し、オランダのラジオ局でライブ演奏を行いました。ラジオ放送用の曲目は、ゴメスのソロをフィーチャーした『Embraceable You』とディジョネットのための『Nardis』を除いてモントルーの時とまったく異なり、2つの豊かな旋律のエヴァンスのオリジナル『Very Early』と『Turn Out the Stars』や、アンドレ・プレヴィンのアップビートなファーストナンバー『You’re Gonna Hear from Me』などが含まれていました。

 

新たにリリースされた2枚のCDのうち、キンブローが選んだのはヒルフェルスム・コンサートのディスクです。「これは素晴らしいライブセットです」と彼は言います。「観客が彼らにエネルギーを与えていることが分かります。ジャズミュージシャンにとって、聴き手がいるといないとでは大違いです。『Nardis』のジャックのロングソロはかなり激しく、サウンドエンジニアがそれを見事に捉えています。ジャックがバンドにもっと長く在籍していたら、ビルの音楽にどんな影響をもたらしただろうと思うかもしれません。でも、セットの間中、三人は互いに対話していて、そして彼らがセットをビルのブレークチューンである『Five』で締めくくるのを聴くのはとても楽しいのです。彼は、『Oleo』と『The Theme』からの抜粋に、『Milestones』へのリズミカルな示唆を加え、すべてを2分30秒の短いナンバーに収めています。いつも端正な演奏をするビルが、こうやって羽目を外しているのを聴けるのは嬉しいものです」

 

「ビル・エヴァンスが街にやってくると、人は聴きに行くというより、むしろ崇めに行くのです」

 

ディジョネットは、ヒルフェルスムでのエヴァンスの演奏はシュヴァルツヴァルトの時よりも「ずっとくだけていた」と述べています。キンブローもこの見解に同意します。「スタジオセッションでは、ビルの演奏は時にちょっと窮屈に聞こえます。多分ちょっと心ここにあらずの状態だったのでしょう」と、ピアニストは言います。「旅で疲れていたのかもしれないし、薬物の影響があったのかもしれない。彼の習慣に関して、ヨーロッパで何が起こっていたのかは知りようがありません。それに、ジャックは音量を抑えて録音されたか、あるいはスタジオだからと思って特に静かに演奏したのかもしれません。そうは言っても、彼らが普段は演奏しない曲を聴けるのは素晴らしいことです。私は何よりも、彼の『Lover Man』のソロ演奏と、不完全なテイクですが『It’s Alright with Me』が好きですね」

 

ゴメスは、ロンドンでの長いツアーフィナーレの後にトリオがスタジオアルバムを作れなかったことを後悔しています。「僕らはロンドンで本当に思い切り演奏したんだ」とゴメスは振り返ります。「ジャックは僕らを受け止めながら、まるで、もっと大きなグループであるかのようなエネルギーとインパクトをもって演奏していた。これらの『新』レコードで若い時の自分の演奏を聴いてみると、期待に応えようとプレッシャーを感じたことを思い出すよ。ちょっと慎重になっているように聞こえる。録音されていることが分かっていたからね。多分、僕は自分に厳しいんだろう。さて、ビルの演奏はほとんどいつもハイレベルだった。あの夏、彼は調子がよかったんだ。ビルの詩的な衝動はいつもそこにあって、僕は彼の旋律の奏で方が大好きだった。その瑞々しいピアノの音、彼の表現力―あんな音を出せるピアニストは、クラシックのピアニストの中にさえほとんどいない。彼の指一本一本が声だった。彼のピアノのオーケストレーション、彼のヴォイシングは、本当に芸術的だった。彼は音楽に熱中していたよ。特にステージ上でね」

 

レイバー・オブ・ラブ(愛情ゆえの奉仕)

レゾナンス・レコードは2008年以来、偉大なギタリスト、ウェス・モンゴメリーによる一連のライブ録音をはじめ、スタン・ゲッツ、チャールズ・ロイド、ラリー・ヤングや、グルーヴィーなピアノ・トリオ「ザ・スリー・サウンズ」などの発掘音源をリリースしてきました。レーベルが2012年にリリースした初のエヴァンスの発掘音源『Live at Art D’Lugoff’s: Top of the Gate』は、1968年秋にエヴァンスがゴメスとドラマーのマーティ・モレルとグリニッジ・ビレッジ・クラブで共演した時の模様を収めた2枚組CDセットです。『Live at Art D’Lugoff’s: Top of the Gate』は3万枚以上を売り上げ、ジャズとしては大ヒットとなりました。ヨーロッパで大量に出回っている海賊版のジャズCDと違い、非営利レーベルであるレゾナンスは、あらゆる著作権や使用許諾の問題を処理し、本人に報酬が支払われるようにしています。

 

さらに、レゾナンスは、丁寧な注釈とイラストが添えられたCDをビニールパッケージ入りでリリースします。「音楽を正当に扱うため」にそう努めていると、レゾナンスのプロデューサーであるゼヴ・フェルドマンは言います。「これは、デジタル化されていない遺産を我々が信じているからです。だからこそ、当時の写真、現場にいた人々のコメント、最高のライターによるテーマに関するエッセイとともに、音楽を文脈の中に位置づけて提供します。出す価値があるものであれば、その音楽に関するストーリーを詳しく説明する価値があるというのが、我々のスタンスです。我々が行っているのは、ビル・エヴァンスのような偉大なアーティストの遺産を愛するがゆえの奉仕活動(レイバー・オブ・ラブ)なのです」

 

エリック・ニセンソンは、著書「The Making of Kind of Blue: Miles Davis and His Masterpiece」の中で、このアルバムが輝きを保ち続けているのは、エヴァンスがモードジャズの知識に加えて、「感情的共感」をプロセスにもたらしたことが大きいと指摘しています。彼の瞑想的なメロディシズム、色彩的なハーモニー感覚、予想を覆すリズムの浮揚感とともに、最盛期のエヴァンスは、音楽を通じて聴き手に秘密を打ち明けているかのように聞こえました。ゴメスは、これらの新たに発掘された音源は「僕自身を含む、ビル・エヴァンスのファンにとって大きな価値がある」と言います。「ビルは僕にとって、単なるメンターを超えた存在だった。彼がピアノに触れるたび、彼の音は僕の心を動かした」

 

PHOTOS: 1968 CBS PHOTO ARCHIVE, ALAMY, EDWARD JAMES, STEVE SCHAPIRO

This article originally appeared in Listen: Life with Music & Culture, Steinway & Sons’ award-winning magazine.

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